プロフィール

こんにちは。
\ワタシカラ/幸せが始まるカウンセリング
心のままセラピスト 恵です。

不安、焦り、イライラで人生に充実感がない方

いじめ、パワハラ、マウンティング、DV(精神的なもの含め)

理不尽な職場の人間関係、夫婦関係でお困りの方へ

あなたの本来の特性と内側の声を知って、生きづらさを解消し、リラックスした自然体の自分で、

人間関係も人生も、幸せな充実感の中で生きるためのカウンセリングを提供してます

こちらでは、私のこれまでの人生についてお話させていただきたいと思います。
私自身長い間、夫婦関係、職場の人間関係、体調不良において生きづらさを抱えてきました。

どのようにしてその生きづらさを抱えてしまったのか、そしてそこからどのようにして解き放たれ、今、幸せに満たされて生きられるようになっていったのかを少しでも知って頂けたらと思います。

(私はカウンセリングに生年月日と名前から分かる、本来の特性や生まれやすい葛藤、ご本人が気づきづらい可能性などが分かる「数秘」もご希望に応じて使わせていただきますので、そのメリットについてもお話しさせていただいたきます。)

期間限定の特価お試しカウンセリングも良かったらご利用ください。

1.幼少期に取り入れた人生の土台

親と同じくらい大きな存在の影響

私は3人兄弟の長女下の妹として生まれました。物心がつく3歳頃には同じアパートに住んでいる1つ年上の女の子に毎日のようにくっついて遊んでいました。

一歳という歳の差は幼少期において、出来ることと出来ないことを大きく分けました。

走ること、乗れるもの等、できること、運動能力に違いがある上に、かなり活発であったその幼馴染の子とその友達の皆について行くことは容易ではなく、必死に食らいついていかないと「置いて行かれてしまう」という感覚を持っていました。

私が4歳になり妹が産まれてからは、母に遊んでもらうよりも、その幼馴染達と遊ぶ方が多くなりました。

当時は遊びもワイルドで、公園裏の自然が多い森のような場所に入って秘密基地を作ったり、塀に登って移動したり、友達の家の2階の窓から1階の屋根に降りて遊んだりと、その毎日のワクワクの体験はとても楽しいものでした。そんな体験をさせてくれる、「その子の言うことが全て」のように感じ、親と同じくらい私の中で大切な存在となっていました。

私はこの頃の体験をもとに知らないうちに「年上が権限を持ち、年下はそれに従う」といったルールを当たり前として取り入れていったと思います。

HSPの私と感情的な父

一方家では、父が怖い存在でした。

父も母も自然のある場所が好きで、よく海や山へ連れて行ってくれる、私にとって大好きな父と母でした。

しかし、父は感情の起伏が激しい面があり、その状態の父はとても怖く、子供にとって、自分よりも背丈もだいぶ大きな存在から感情をぶつけるように怒鳴られる恐怖感は、怒られた理由の如何に関わらず、ただただ恐怖感として体に刻み込まれているのです。

私のHSP気質は、怒られる時にぶつけられる感情も一緒に受け取ってしまっていたのです。

父は怖いので「極力怒らせないようにしなければ」と思っていた私は、何か行動をする時にもいちいち人の顔色を伺うようになります。

私としては自分を守るための行動だったのでしょうが、人の顔色を伺って行動する姿は両親にとっての良くないものと映ったのか、よく「人の顔色見ぃ見ぃ!」と注意されていました。

家庭の中では何かにつけて、父の決めたことが通っていましたから、ここでも「強い者の言うことが絶対で、後の者はそれに従う」というルールは私の中で強固になっていきました。

歪んだ愛情の確かめ方

そのような父にどこかいつもビクビクと接する分、私の精神的な安心感を得るための矛先は甘えるという形で母に向きました。甘えると言っても可愛らしいものではなく、どこまで自分を受け入れてもらえているのかを確かめるようにわがままを言ったり、母の私への気持ちを確かめるようなものでした。

そして、小中高と年齢が増すごとに学校では友人関係においてもさまざまな体験をしていきます。何となく仲間はずれの標的にされてしまう、仲間はずれにされないために強い側に加担する、取り入る、イケてるグループとイケてないグループのように勝手に人の意識の中に組み分けがされる、そういった渦の中で、独占欲、嫉妬、劣等感、私も色々な感情を感じましたし、逆に誰かのそういったネガティブな感情の標的になったりと、誰しもが抱える人間関係特有のものを私ももれなく体験してきました。

アダルトチルドレンのささやかな自立

私は父への漠然とした恐れを持ち、父と母の間で起きていたことを見ていて、中2にして「自分は将来子どもを女手一つで育てられる経済力を身につけなければ」と看護師を目指そうと思っていました。(結局看護師にはなりませんでしたが)

母の口癖は「お金がない」でした。大変な中でやり繰りをし、色々と自分のものを我慢して(もともと物も大切に使う物欲少なめの母でしたが、私には自分達のために我慢してくれていると思っていました)塾に通わせてくれました。そのため無事に都立高校に受かれたことはとてもホッとしました。

私は中学を卒業してすぐに、高校入学前からアルバイトを始めました。

「金銭面で親には頼ってはいけないんだ」という感覚で、バイトの給料日前になるとあまりお金のない私は電車賃がないので、遠いバイト先まで、1時間以上かけて自転車で通うということをしていた時期もありました。母に言えば普通に電車賃をくれたと思うのですが、「頼れない」と思っていたこの時は、その発想すら無かったように思います。こうして私はアダルトチルドレンとしての性質も持ち合わせていくことになります。

2.歪んだ正義感と潜在的な孤独感

結婚、出産と同時に老後の心配

それから私は20歳で結婚、出産し、2人の娘を授かりました。家具や家電など、ほとんど貰い物で狭いアパートで新しい暮らしはスタートしました。私は好きな人と一緒になり、子どももいることにとても幸せを感じていましたが、「経済的にもちゃんと育てていけるのか」ということと同時に私の心配はすぐに老後へ向けられました。

「子どもをきちんとした子に育てなければ」と、初めての子育てへの気負いから、して欲しくないことを子どもがした時には「解らせなければ」とばかりに感情的に怒るということをしてしまっていました。

下の娘が一歳になる前には生活のため、激戦区の保育園に入園させるため、まずは就労証明書を書いてもらうべく、託児所付きのパートをはじめます。1年ほどで運良く娘達を保育園に入れることができたので、好きではない営業の仕事から転職し、念願だった病院で働くことになりました。

しかし、この先私は闇へ向かっていくことになります。

完璧じゃないと認められない?

仕事をするようになると、間違いやミスによって注意を受けることになりますが、

自分が何かとてもいけないことをしてしまったような気持ちにまでなって、「完璧でなければ」と思うようにもなっていました。自分を否定されているように感じて、「間違ってはいけない」と細心の注意を払うようになります。

「〇〇しないと〇〇されない。」という意識が深く入り込んでいました。

仕事でミスをしたら認められない

厳しく育てないと子どもがちゃんと育たない

気を遣って行動しないと好かれない

それはありのままの自分を認めてもらえるのではなく、何かいつも「相手や何かの期待に応えないといけない自分」を作り上げていたのです。

特に職場ではこういった意識が色濃く出ていました。新人として入ると必ずといっていいほど高圧的な人によって嫌な思いをする。とりあえず仕事ができると認めてもらうために頑張らなければいけないと自ら重荷を背負っていました。

職場の雰囲気もお客さんのためや患者さんのため、力を合わせていこうという感覚ではなく、仕事にミスがあったかなかったか、誰のミスか、正解か不正解か、歪んだ正義感を振りかざし、各々が各々の立場を確立するための争いのようで、どこかピリピリしているように感じました。

それは私の中に人と深く繋がれない、心が通い合った感覚が得られない孤独感をもたらしました。

3.冷戦夫婦生活とうつ(パニック)

見えない精神的打撃

職場のストレスを家に持ち込み、そのストレスを抱えなくてはならないのは生活費を稼ぐためであり、その生活費であるお金をいかに節約しなければいけないかに神経質になっていきました。

その節約もうまく行かず、余計にストレスになっていました。10円単位を節約するためにスーパーをハシゴしている時に、夫が無駄遣いをしようものなら「お金ないんだから!」と喧嘩になりました。

夫は怒ると口を聞かなくなる人でした。あの狭いアパートで、何日も何日も無視されることになります。

私も自分は間違ったことを言っていない、家族みんなのためなんだという気持ちがあり、しばらく冷戦が続くのですが、夫は帰ってきたら子どもをお風呂に入れたり、掃除や家事は手伝ってくれます。沈黙に耐えられなくなった私の方から話を持ちかけて仲直りすることがパターンとなっていました。しかし夫は頑固な一面があり、こちらから仲直りのきっかけを持ちかけても許す気になれないらしく、同じ部屋に居ながら一言も話さない状態は最大2週間ほど続いたりします。

ただの頑固というより、夫にも育った家庭環境から生きづらさを抱える観念を取り入れこのような表現になっていたのでしょう。

しかし、その状態は私の中でかなりのストレスになっていたようです。

職場のストレスと家庭内のストレスの板挟みにより、私はある日、パニック症を起こしてしまいました。

すでにうつ状態であったのでしょうが、毎日が必死なので全く異変に気づくことはできませんでした。パニック症と同時にうつ状態は私を苦しめることになります。

病院に行ってみたものの…

謎の恐怖と不安に支配され、子どもがいるにも関わらず、生きていて楽しめる感覚のないまま、死にたいという葛藤にかられるものの、死ぬ勇気もありません。

夫が帰ってくる時の階段を上がってくる音を聞くだけで動悸がして来ることさえありました。

それでも「原因不明」と言われるのが怖くて心療内科などにもかかる気になれず、一年が過ぎた頃、やっと心療内科に行ってみましたが、カウンセリングでただ話しを聞いてもらっても、特に気持ちが軽くなることはなく、薬ももらいましたが、その薬を飲むと眠気が襲い仕事にならず、通うことは止めてしまいました。

ツラい時ほど怖くて言えなかった

その頃主人に話すと「何で言わないの?」とも言ってくれましたが、「心が弱いからだよ」とも言い放たれました。

「ほらね、そう言うだろうから言わなかったんだよ」って心で呟きながらも「こんな思いしてまで生きてるんだから強いんだよ‼︎」と言い返したのを覚えています。

自分の中で本当に状態が深刻な時、人に伝えること、口に出すことさえ恐怖があります。

うつやパニック症のことについてはこの頃、パソコンやスマホもなく、きちんと調べることができなかったため、自分の感覚に従うことだけが頼りでした。

深呼吸がいいと言われたけれど、深呼吸しようとすると余計に苦しくなる、じっとしている方が恐怖感に襲われるので、仕事や家事など動くことで気を紛らわすことがその時私にできる最善の手立てでした。

ただ、この頃の体験はうつやパニック症から抜け出していく上で、何がそうさせてしまっていたのか、どのようにすれば良かったのかが体感として腑に落ちる、とても貴重なものでした。

どうしてこうなったんだろう?

なぜ自分の身にこのようなことが起こるのかも不思議に思っていました。

今ではこのように書き出してみると何の不思議もないですが、当時の私の中でそれらはただの当たり前の日常で、うつになるような「大きなストレスを抱えているような自覚もなく」日常でストレスがあったとしても、同じ時期に子どもを産んだ仲のいい友達もいて、一緒に話したり、聞いてもらって笑いあっている中で、ちゃんと発散されているように思えていたからです。

私はこういった状況の中、「人はなぜ生きるんだろう」という疑問が湧いて、図書館の人生訓のコーナーから興味のあるものを片っ端から読み漁るようになります。

4.今までと真逆の価値観

常に忙しさに追われて

様々な本を読んでいくうちに、自分の職場での在り方だったり、夫婦関係も、子どもへの母親としての在り方も全て見直していきたいという気持ちになりました。

しかし、個人クリニックで働くようになると、朝は朝食とお弁当の準備、休憩中に家に帰って夜ご飯を作り、夜まで仕事と子どもの塾代のためと、もう一つのクリニックと掛け持ちをして、常に追われた感覚で日々を過ごしていたので、心の余裕が全くありませんでした。

夫の理不尽な言動や子どもの言動にもすぐにイライラしてしまうのも何とかしたいと思い、お坊さんが書いた本を読んで「怒らない技術」を身につけようとしましたが、その頃の私の捉え方では「全部自分が我慢しなければいけない」ように受け取ってしまい、それには途方もない自己コントロール力が必要だと言われているようで、そんなのは無理だと本を閉じました。

幸せになりたいだけなのに…

夫との言い合いは大抵その場だけの口喧嘩に終わりません。私との冷戦中も夫が子どもには優しいことは良いことですが、そんなところにも「私にはなぜそうするのだろう」と疎外感を感じていました。

「家庭がうまく行きたいだけなのにどうしてこんなに空回るんだろう?」
「人との関係が上辺だけの関係から深まる感じがしない。」そんなふうに思っていました。

その頃読んだ「頑張らない方が上手くいく」といったメッセージの本を読んで、今までとは真逆の価値観を取り入れることになります。

その著者さんのセミナーに参加し、積極的に質問したりして何とかパートナーシップ改善の糸口を見つけていきました。

私はここで自身の「在り方」を意識するようになります。

しかし「頑張らない」「上手くいく」といっても、人によって捉え方は全く違ってくるでしょう。

今まで取り入れた観念をもとに「頑張らない」をやると、それはそれで歪んでいき、度重なるトライ&エラーを繰り返していくことになりました。

5.学びが統合され好転する現実

繰り返すトライ&エラー

様々の本やセミナーでの学びの中から取り入れ、私は徐々に自分の在り方を整えていきました。

しかし一回読んだ本やセミナーでは、受け取り方によっては捉え方も自己流になります。その結果「在り方を整えること」=「いい人になること」と勘違いしてしまったり、また違ったストレスを抱える等、度重なるトライ&エラーを繰り返しながらも人生を良くしていこうとしていました。

おかげで、以前に比べれば徐々に夫婦関係、職場の人間関係、娘達との関係でイライラすることはだいぶ減っていきました。

私は自分の好きなことを自分にさせてあげることも大切にして、今後は自分の体験や経験を活かした仕事を自分でやってみようと思えるまでになり、この頃にはうつ状態から抜け出せていました。

自己受容してください

そんな時に受けたセッションで「自己受容してください」と言われます。

私にはこの数年、自己肯定感を育ててきた自負があり、始めは意味が分かりませんでした。

「今まで期待に応える人生をやってきましたね」と言われても、「母との関係や母に大変な時期がなかったか」を聞かれても、この頃の私には心理学で言われる「子供の頃の環境や親との関係が自分の人生に影響している」ことに納得できていませんでした。

母は一生懸命私達を育ててくれたので、その影響で「私が自分を受け入れられてない」とは思いたくなかったのです。

でもそういうことではなく、「今までの体験をもとに無意識に取り入れた観念や潜在意識にあるものが私の見るもの、思考や言動にまで影響を与えている」といったことだったのです。

土台から整えなおすカウンセリング

そんな時、ある女性から自然な流れで一年程カウンセリングを受けることになりました。それは私の中にある観念を見つけ、私の土台を整えてくれるものでした。

しかし「内側にある観念、意識が目の前の現実を創っている」というその方の教えは、その頃の私にとって不思議な話でしかなく、始めは到底理解に苦しむものでした。

なぜなら私達は現実を見て物事を判断し、言動していますから、それが逆転しているような教えに矛盾を感じ「そんなはずはない」と思うでしょう。

しかしその定義は、これまでに上手くいきたい、幸せになりたい一心で学んできた潜在意識、心理学、量子力学、脳科学などで言われていることと実は共通しているのです。多分野の知識が統合される中で、やっと腑に落ちていきました。

色々な学問が説いていて難しく複雑に思えるかもしれませんが、幸せへの道はいたってシンプルであることにも辿り着くことができました。

実験

私はこの定義が真実であると、自身の身をもって体験することになります。

同時期に3か所でパートをする流れになりました。ただ、この頃には自分の好きな働き方を自分に許すことができるようになっていて、働きに出ていたのは週4日と無理のない状態でした。

これまでの学びから、どこに行っても人間関係改善が良好になる自信もありました。だから、様々な職場先で関わる人の数が増えることにも何の恐れもなかったのです。

しかし、それでもどこに行っても人間関係にわだかまりが起きる。

しかも、全く別の場所と人の間で起こっていることなのに、よく見ると同じような感情を抱くようなことが起きているのです。

怒鳴る上司、嫌味を言ってくる人、意地悪な言い方や態度をする人、上の立場から理不尽なことを言ってくる人…

「あれ?おかしい」とも思いましたが、このことは、私の内側に残っている観念を教えてくれていたのです。

これを丁寧に観ていくことで、恐れから見た言動に引っ張られないようになっていくことで、相手の私への態度が徐々に(突然のこともありますが)優しく変わっていく、時に職場移動や、辞めて居なくなるということが全ての場所で起きて行きました。

「相手を一切コントロールすることなく」です。

いつも厳しそうな顔でネガティブな言動をしていた人が、本来の自分を取り戻し優しい顔になっていくのはとても嬉しいものです。

夫との関係も変わった

同じ部屋に居ながらほとんど話しをしない、その他諸々あった夫とも、2人で出かけたり、キャンプに行ったりするようになりました。

衝突することを止めてから、穏やかに過ごすことができ、以前からは想像できない程関係性は良くなっていきました。

この変化は私にとってとても大きく望ましいものでした。

ただ、私にとって夫婦関係ほど観念を炙り出される関係性はなく、起こるべきことは起こります。正直この後も一筋縄ではいかない体験をしております。

ただ、そういった出来事の中でも、大きく揺さぶられることがなくなり、私の幸せな感覚と安定感がそれによって奪われるようなことはなくなったことも、私にとって大きな成長と実感しているところです。

娘に起こることも変わった

娘たちはそれぞれに小学校、中学校でいじめを体験していて、私も一時、円形脱毛症を発症してしまうことがありました。

しかし、今はそれぞれが好きなことを楽しみ、友達関係も充実していて、楽しい話を聞くことの方が圧倒的に多くなりました。ちょっとしたトラブルのようなものも、相談してくれて、気づきを得て自然と解決に向かうようです。

これらの体験によって、図らずも実験と実証を得た私は、同じようなお悩みに苦しんでいるお一人お一人に合わせて、幸せに生きるためのお手伝いをせさてもらうことで、まずはその人自身が幸せになっていき、その周囲の人までもが穏やかになっていくことで、その輪(和)がどんどん社会全体に広がっていくと確信しています。

なぜカウンセリングに数秘を使うのか

私はカウンセリングに「数秘」を使わせていただいてます。

数秘とは、生年月日と姓名からわかる、本来の自分の特性として、価値観、使命、喜び、自身で気づきづらい可能性、持っている数字の並びから抱えやすい葛藤なども知ることができます。

自分を知り、自分と仲良くなっていくことは自分を幸せにしてあげるために大切です。

とはいえ、今人生の中で頑張っているのは「本来の自分」ではなく、様々な「恐れから発生した観念によって歪められている自分」である可能性が高いのです。それでは一見うまくいったとしても、「○○しなければいけない」と頑張り続ける苦しみが伴うのです。

そのために、私はカウンセリングにプラスして数秘の特性からどういった観念が生まれやすいかも鑑させていただくことで、お悩みの中にある根本にアプローチし、取り除いていくことができるので自分らしさと心地よさが融合し調和へ向かっていきます。

《※数秘を使うのは、ご本人が自分を受け入れやすく、特性をもとにした今後の可能性を腑に落としやすくするためで、占い、統計学、個性判断を好まれない方には数秘は使いません。》


あの恐いと思っていた父への見え方がかわり、恐れる必要がなくなり、今では関係も良好です。

私が心地よい状態であることで人間関係が徐々に変わっていくことを、様々な場所で体験してきました。

私のカウンセリングにかける想い

私はせっかく生きているこの人生が、その人にとって楽しいものであって欲しいと願っています。

それぞれの根っこにある観念が自身のあり方を歪め、人間関係を拗らせ不快なものにしています。

そして、学校、職場、夫婦、友人関係様々なところで起きているこの不快なやり取りが、更に私達の人格を歪ませたり、時にうつのように生命力をも奪ったりしますが、このあり様は本来の姿ではないのです。

数秘は生年月日と名前からその人の生まれ持ったエネルギーの情報が読み取れますが、それはひとりひとりが大切な尊重されるべき人であるということを示していると思います。

あなたもあの人も私もその大切なひとりです。

あなたが今、不安、焦り、イライラで人生に充実感がなかったり、理不尽な人間関係で苦しんでいるのであれば、ぜひご自身の本来の特性を知って、幸せな自分に戻っていきませんか?

『ワタシカラ』(私から)幸せで満たし、調和した温かい人間関係と共に人生を一緒に楽しみ、『ワタシカラ』その世界を広げていきませんか?

期間限定で特価の初回お試しカウンセリングをせていただいてます。