『ワタシカラ』に込めた想い

目の前の前の出来事に、目の前の相手に翻弄されながら

私達は生きています。

なぜ翻弄されてしまうのか

生まれてからこれまで

様々な体験の中でたくさんの

安心安全なルール、上手くいきそうなルールを

それぞれが身につけてきました。

そのルールは本来、自分の感情を

守っていくために作られたものでした。

しかしそのルールを作ったもとになる

無意識のうちに使っている「観念」は

物事を判断する時のフィルターとなって

私達の言動に影響を及ぼしているからです。

例えばこんなことがあります

友達から仲間外れにされた経験のある人が

「もうあんな思いしたくない!

友達に嫌われないようにしなければ」と思い

そのために

「待ち合わせの約束の5分前には到着するべき」

という自分の中のルールを作ったとします。

自分は毎回5分前には到着できるよう逆算して

家を出るように気を付けているというのに

当たり前のように

遅刻してくる友達がいたとしたら

どう思うでしょうか?

「私どうでもいいと思われてる?」

「私はちゃんと時間前に来てるのに!」

きっとそんなふうに思ってモヤモヤしそうですよね。

とはいえ、この場の雰囲気を壊したくなくて

気を使ってしまい

「ちゃんと時間通りに来てほしい」と

伝えられなかったり

もしくは伝えたにも関わらず

次回も普通に遅刻してきたとしたら…

そのモヤモヤは更に大きくなりそうです。

そんなふうに

目の前の出来事や相手の言動を

自分の中の「何かしらのフィルター」を通して

判断したり、独自のルールを設けては

それに沿わないことに気分を悪くしています。

こうして知らず知らずのうちに

目の前の出来事に翻弄され

何かに巻き込まれるような感覚に

なっていませんか?

私自身、大いに悩んできたことなのです。

『ワタシカラ』で生きませんか?

そこで提案したいと思います。

「まず私から満たしてあげましょう。」

相手を慮るのは大切なことですが

「私」を満たさずに相手のために何かをすると

どこかで歪みが起きてしまいます。

「私」を誰より一番に大切にしてあげること

「私からしあわせになりましょう。」

他でもない「私」自身にしあわせを感じさせてあげること。

それが、それぞれの使命です。

「私から愛を流しましょう。」

満たされ、しあわせな「私」から

勝手に外側へ溢れ出てくるものが

愛となって

自然と相手を喜ばせます。

「ワタシカラ」はそういった想いを込めて

しあわせなあなたで生きるための

カウンセリングをさせていただきます。